人生を表現する活動日誌

MENU

ブログ移行のお知らせ

ども、てつおです!

 

こちらのブログですが、これから別のブログサービス「note」に移行します!

はてなブログも好きなのですが、ものを書くとなった時に僕的に書きやすいのがnoteのような気がしてます!

 

いろいろ気持ちを改めて書いていくのでよろしくお願いします!

 

▽下記からフォローお願いします!

Tetsuo Yamamoto/ 山本哲生|note

 

 

ダンスにとって大切な物語を伝えることについて

f:id:yamamon0715:20191026094033j:image

ども、テツオです!

 

今日はダンスと物語について

 

ダンスとはただ動いてその姿を魅せるのではなく、そこに在る物語を伝えられるか、伝わるか、であると考えている。


当たり前なのかもしれないが、ここを考えて踊っているのと踊っていないのでは差は明らかだ。


明確な世界観やイメージについて

子どもたちのダンスを昨日指導していた。


約2分ほどのダンス。

「みんなはどんなイメージでこの作品を踊っているの?」

「どんなイメージで踊ってと言われたの?」

と聞いてみた。

 


その時の返答は「よくわかりません」だった。

 


それじゃあお客さんには何も届かない、みんなが明確な世界観やイメージを持っておくことが大切なんだ、という事を伝えた。

 

ダンスは動き、だけではなく物語だと僕は思っている。ただ伝えられた振り付けを言われた通りにやるのではれば、正直誰にだって頑張ったらできるだろう。


言葉の受動機械になってしまってはいけない。

 

 

少しだけみんなに考える時間をあげた。

どんな世界観を見せたくて、どんな表情(目つきとか)、どこにメリハリをつけるのかなどを考える時間。


そうすると少し表情や動きに物語が生まれたような気がした。


どんな物語を伝えたいのか、ということはとても大切だと思う。伝えたいことが明確になればなるほど、動きに質感が生まれてきて空間に深みが増す。


そこに来た意味について考える瞬間

もちろん物語が正確に伝わらない事だってある。


伝わったものは、それぞれの主観に変わるから、作品の世界観に感動をする人がいれば、自分に還り考える人だっているし外を考える人だっている。


ただ、何かは伝わったということだ。

リアルタイムの時間と空間を共有して、何かが伝わった時、人はそこに来た意味について考えるんだと思う。


その瞬間を味わってもらうことが、ダンスの意味なのではないか、もっと広く言えばアートはそういうものなんじゃないか。

 

 

イメージや物語を共有すること

ダンサーと振り付け師はコミュニケーションをとり、イメージや物語を積極的に共有する必要があると思う。


さっきも言ったようにダンサーは言葉の受動機械にならず、そういうイメージで振り付けをしているのか、何を伝えたいのかを聞き、振り付け師もそれを伝えることを積極的に行ったほうがいい。


別に全てに意味を持たせる必要はないが、ある部分部分に「点」を置き、その「点」を「線」で繋いでいくガイドをすること。

 

ダンサーはその通りでなくても、何か自分なりの解釈ででも良いからイメージする事。


だから、昨日も生徒たちに積極的に聞いて、自分たちなりに解釈もしてみよう、と伝えた。


そういうことを考えるようになると、また一つダンスに質が生まれステップアップするような気がしてる。


そんな僕も抽象的なことが多いので、もう少し言語化できる力は持っておきたい。


ただ、動くのではなく物語をダンスを通して伝えることについて考えてみよう。

何者かにならなければいけないと思っていた

ども、哲生です。

 

何者かにならなければいけない...そう思いながら過ごしていたことがある。

 

何者かにならなければ、僕は誰にも認められず何か孤独や寂しさを心に残しながら朽ち果てていく人生を送るのだろう、なんて考えていた。

だから、人生に焦り、人と比べ(僕はとても他人と比較をしやすい人間だから)、誰かになろうとして、でも誰にもなれていない自分に嫌気がさし、落ち込んで落ち込んで...

 

f:id:yamamon0715:20171219220526j:plain

 

何者かになろうとしなくていい

「てっちゃんはてっちゃんでしょ」

 

そう言ってくれる人がいる。

本人はしれっと言ったのだけれど、その言葉が自分にとって救いの言葉だった。

 

何者かになろうとするっていうことが辛いと感じていた時にたった一言で、僕の気持ちを楽にさせてくれた。

 

そう、何者にもなろうとしなくていいのだ。

僕は僕自身であり他の誰でもない。

 

何者かになろうとするってことはなりたい人物がいるわけで、その人と自分のギャップを埋めることに必死になる。ギャップとは不足している部分であるから、そこが埋まらない限り満たされることはない。

 

もちろん自分にとって足りないことを、学んだり体験して身につけていくことは大切なことなんだけれど、そればかりに目を向けてしまうと辛くなって自信がなくなり、自分が持っているものを活かすことができなくなってしまうと僕は思う。

 

だから、無理に何者かになろうとしなくたっていいんだってことを心の片隅に置いておくことは大切だと考えていて、何者でもないそんな僕やあなたを好きでいてくれる人がいる。

 

しっかりしてなくても、一人前じゃなくても、頭が良くなくても、子どもみたいでも、何か得意じゃなくても大丈夫なのだ。

 

何者かになるのではなく、僕やあなたが自分自身でいることがこの世界を楽しく生きる一つの選択なんだと思っている。

 

では!

 

 

ゆっくりと急ぐ人生を歩む

ども、てつおです。

 

先月ZERO.の公演を終え、先日秋田のイベントでのパフォーマンスが終わり、なんやかんやあったが、とりあえず落ち着いた〜。

f:id:yamamon0715:20190922203433j:plain

f:id:yamamon0715:20190922203459j:plain

▲一番前が僕

と思いきや、次は1月にイベントがあるし3月頃にはZERO.の新作や、なんならアパレルブランド作ろうとしていて、少しずつだが前に進んでいる。

 

人生、焦りたくはない。

未来を見すぎて目の前を大切にできなくなってしまっては、僕は大事なものを失ってしまうような気がするからだ。

 

ゆっくりと急ぐ人生を歩む

僕はとても不器用な人間だから、一個を見すぎてしまうと周りが見えなくなってしまう。だからよく物事を忘れてしまいがちで、迷惑をかけていることが多々ある。

 

気持ちが先行しすぎて、気づいたら勝手に一人で焦っていて、疲れてしまう。

疲れるから目の前のことをほったらかしにしたり、まあいいやとか言って放ってしまうことがあったから気をつけなければいけない。

 

僕に足りないのは腰を据えることなんだと思っている。

ただがむしゃらに動くのではなく、何が必要でどういう風に動けばいいのかを考え、あまり遠回りにならないように行動することを心がけるべきなんだろう。

時には立ち止まって、現状をメタ的に見ることが必要だ。

 

その時間はもしかしたゆっくりと進んでいるかのように感じるかもしれないが、ダッシュする時と止まる時のバランスを考えながら生きたほうが良いのだろう。

 

だからゆっくりと急ぐ人生を設計していけたらなと考えながら、最近生きとります。

 

守りたいと思うものがあったほうが僕は強くあろうと思える

人間には守るものが何もないほうが人は強い、という人もいれば守りたいものがあるから人は強い、という人がいると思う。

 

最近、僕は後者なんじゃないだろうか、と考えている。

 

自分一人だと僕は放浪者っぽくなってしまい(それが良いか悪いか別として)、ふわっとした感覚がいまいち抜けていなかったような感じがある。

 

だが、自分が守りたいと思える人がいて、その人のために僕自身がもっとしっかりしなきゃいけないと考えるように最近なり、良い意味でのプレッシャーが与えられていると思うのだ。

 

ありがたい〜〜〜!!

 

僕自身の人生では、ここ3年が大きな年になると思っている。

来年は大阪と松山でZERO.の公演を行い、アパレルブランドも作り、2年後には劇場を作って海外に自分の作品も持っていく。

って宣言したほうがいいね。

 

言ったからには頑張ろうってなるから。

 

ゆっくり急ぐ

 

では!

 

f:id:yamamon0715:20171216000012j:plain

 

考え方や価値観の違いは受け入れるべきことなのか

f:id:yamamon0715:20171217014101j:plain

ども、テツオです。

 

考え方や価値観の違いってあるじゃないですか?

僕はその違いというものを受け入れることってとても大切なんだと考えている。

 

自分の考え方があるのは分かる。

むしろ自分なりの考え方を持つことは大切なことだし、それは誰だって持っているものだ。

 

ただ、自分の考え方を押し付けようとしているのであれば、それは僕が間違っていると思っている。なんでもそうだが、彼なら彼の彼女なら彼女の事情があり考え方があるのだ。

 

自分の考えを伝えることは時に相手に押し付けている印象を与えることがある

自分の考えを伝えることは言い方によっては相手に押し付けようとしているんだと感じさせてしまうんだってことを分からなければいけない。

なぜそう思うかというと、僕自身がそう感じてきたからだ。

 

もちろん人による。

本当に私だったらこうするけどね、と言っているだけの人だっている。

しかしそういう人は、相手の意見を聞く態勢があるのだ。

 

自分の言いたいことだけを言って、他人の考えを聞かないのは自己中としか言いようがないと僕は考えるのだ。

 

理想の人間関係は受け入れ合うところにある

距離感なんて関係ない。

お互いの距離感が近かろうが遠かろうが、違うところは違うんだし、考え方だってズレは生じる。

 

だから、その違いをちゃんと理解し、自分の意見だって言ってもいい、というか言うべきだ。(僕もまだまだそこに関して、非常に未熟なのである。)

 

僕はその違いを大切にしたいと思っている。

 

どうしても考え方や価値観の違いを受け入れられない時は...?

僕は離れてもいいんじゃないかと思う。

 

みんな違ってみんないい.....わけない。

 

違うことを受け入れれる関係性を築けるのであれば、築いていくべきだがどうしても無理なことだってある。

そんな時は攻撃してはいけない、ただそっと離れていけばいいじゃないのだろうか?

 

忘れないで欲しいのは、それぞれの人なりの考え方があるのだと言うこと。

ただ何百何千通りの人の中からたまたま合わない人と出会っただけのこと。

 

それだけだ。

 

そうやって僕は、人間関係を築いていこうと思っている。

 

みんなはどうだろう?

自分が信じることができる道を歩く

ども、テツオです。

 

今日は'信じる'ということについて考えてみようかな、と思ってる。

何を信じるのか...

僕は今自分が歩いているこの人生が、少しずつ求めている景色に向かっているんだと信じている。

 

ノンビリした日々も必要

f:id:yamamon0715:20171219220645j:plain

最近倦怠感があった。

果たして倦怠感なのかすらわかっていないのだけれど、ダンス公演【怪物】が終わり

割と心も体も多忙な日々を過ごしていた。

しかしそれが全て終わった後のこのノンビリした感じ...

 

やばい...何かしなければ...と焦る。

僕は誰かの下について何かをやるよりも、自分の頭の中を噴水のように溢れ出している方が合っていると思っているから、早く作らなければと焦りが生じる。

別に悪いことではない。もちろんそう思う。

 

しかし待てよ、と。

こういうちょっとした余暇のような日々も過ごしていいじゃないか、と思った。

逆にそういうノンビリタイムがあるから、忙しく活動できる日々に感謝が生まれて、ノンビリ過ごせる時間にも感謝が生まれる。

 

創造は、頭の中が詰まっている時はきっと浮かばないと思う。

浮かべるには、そこはいろいろなものが詰まった硬いコンクリートではいけない。

 

少し自然に触れてみたり、散歩をしてみるという時間も大切にしたり、誰かと過ごす時間を大切にしてみることで、また頑張れるのだ。

 

信じる道を進む原動力

f:id:yamamon0715:20171217014024j:plain

最近、彼女ができた。

出会ってそんな月日が経っているわけではないのだけれど、アタックした。

人生は攻めだと思う。

そんなに攻めるのは上手じゃないけど、攻めないで後悔するより攻めて後悔したい時だってある。

 

その子は僕にとってまっすぐで広大な自然で空のようにふわっと浮いてたと思うと、星のようにキラキラしている。そんな彼女に会えると僕は安心することができて、自分が進んでいる道を信じて頑張れる。

 

同じようなことをやっているようで進んでいる方向は違い、でもそれが良くて、僕にはないものを持っているから魅力的なのだ。

 

会えない日々が続いたとしても、それは今お互いが頑張らなければいけない時だからであり、いつかこの道の先の交差点で交われるように自分が信じる道を進んでいく。

 

何が起きても、それは全てが必要なことなのだ

f:id:yamamon0715:20171213010809j:plain

いくら上手に生きようとしても、悪いことは起こる。

 

なぜ起こるのか...

 

それは必要なことだから

 

何かに気づかなくてはいけないからだ

 

落ち込んでしまったり泣いてしまうかもしれないけれど、後からわかる

 

あの時起こったことは必然だったんだと

 

気にすんなって言っても気にしてしまうが、起こることは起こるべくして起こっているのだから、なんで起こったのかを考えてみたらいい

 

考えて分からなければ、それは今わかることじゃないから

 

とにかく自分が今進みたい方向へ進んでみよう

 

 

相変わらず文章は下手で浮かんだ言葉をただただ綴っている文章を書いた

 

f:id:yamamon0715:20171216000012j:plain

 

 

では!

 

 

 

本当に良いダンサーというのは...

ども、テツオです。

ちょっと説教っぽい内容になりそうですが、お時間ある方は読んでもらえると嬉しいです。

 

本当に良いダンサーというのは...

f:id:yamamon0715:20171217014024j:plain

僕はダンスに関わっているから、将来はダンサーになりたいという人の話を聞く。

ダンサーは技術や表現力とかいろいろ問われるが、これは演出・振り付けをする僕の目線からの一つの考え方だが、

 

本当に素晴らしいダンサーというのは謙虚である

 

テクニックっていうのは磨けばつくし、表現力だって本人の意識次第でいくらでも伸びるものだ。だから本人の熱量や研究し行動する意識があれば僕は誰だって身につくものだし、ある程度の経験を積んでいけば自然と体の中に入っていく。

 

しかし、経験を積んでいき少し自分のレベルが上がったくらいで調子に乗り、それを周りに撒き散らしているようではまだまだだ。

本当に上手いダンサーっていうのは常に勉強を心がけ、他人に気を配り、謙虚なんだよ。

 

例えば舞台などでパフォーマンスをするとしよう。

舞台っていうのはたくさんの人が関わってくる。

舞台監督や音響、照明、そして舞台の客席などを設置してくれる裏方スタッフの皆さん。

小規模なものだと関わってくるスタッフさんが少ない分、一人一人にかかる負担が大きくバタバタしていることがほとんど。

 

そんな時、「何かお手伝いしましょうか?」「設営ありがとうございます」と声をかけたり手を貸すことができるか出来ないか、というのは良いダンサーとの分かれ道だと僕は思っている。

 

裏方さんに目を向けることができるというのは、自分だけでなくたくさんの人が関わってくれているからパフォーマンスできるのだという自覚があり、自分たちが踊れることが当たり前だと考えていないことだからだ。

 

 

 

もちろん、それぞれ役割りがあるわけだからこれから踊るダンサーが無理をしてはいけないのだけれど、たった一声かけるくらいの優しさがある人を演出家の僕としてはまたお願いしたい、と考える。

 

自分が舞台に立って踊れるということを当たり前だと考えないほうがいい。

 

誰の話にでもきちんと耳を傾けているか 

もう一つ。

自分が少し上手くなったからといって、仲間や先生や友達やスタッフやお客さんの話を蔑ろにするやつは少しも良いダンサーだと僕は思わない。

 

人は一人一人違う考え方があり感じ方をするのだから、もらえる言葉っていうのは当たり前だが違うし、良いと言われることがあれば悪いと言われることだってある。

様々な観点からもらえる声を謙虚に聞き、自分の中に取り入れようとしないということは自分を成長させる気がないってこと。

 

どんな言葉だってありがたいのだ。

それがダンスをやっている人だろうがやっていない人だろうが。

 

自分が成長するために謙虚に耳を傾けれるダンサーと僕は関わっていきたいと思う。

 

f:id:yamamon0715:20190822152108p:plain

先日終えた主宰団体ZERO.のダンス公演【怪物】に批評家の方が見に来てくださっていたらしくたくさんのご意見をいただけた。

これからもっともっと作品を作って世界的な振り付け家になっていく。

 

あなたが思う良いダンサーとはどんな人のことだろうか?

 

では!

 

LINE@に登録すれば直接連絡出来ます!

f:id:yamamon0715:20171216000012j:plain